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横浜地方裁判所 昭和56年(ワ)2099号 判決

原告

吉田清一

右訴訟代理人

小原卓

被告

白井雪蔵

被告

茂垣熊吉

右両名訴訟代理人

小林資明

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、原告に対し、各自金九三〇万一九七二円及びこれに対する昭和五六年一〇月三日以降支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  訴外ロマン・アンドライフ株式会社(以下「訴外会社」という。)は昭和五三年一二月九日に設立されたメンバー制保養別荘施設の直営等を目的とする会社であつて静岡県伊東市宇佐美にリゾートホテル「海峰閣」を経営するもの、訴外今井正大は同会社代表取締役、被告らは同取締役であつたもの、原告は、昭和五四年七月一日に右訴外会社に入社し、前記海峰閣に勤務していたものである。

2  訴外会社は今井正大のワンマン会社で、明確な経営計画ないし資金計画を持たず、ただ事業の発展ないし拡大によりいずれ弁済能力がつくものとの安易な見通しのもとに放漫な経営を行つたために昭和五五年一〇月一五日、海峰閣の建築代金を主とする債務の支払不能により倒産し、横浜地方裁判所において昭和五六年一月二三日破産宣告を受けた。〈以下、省略〉

理由

一請求原因1の事実並びに同2のうち訴外会社が昭和五六年一月二三日、横浜地方裁判所において破産宣告を受けたことは当事者間に争いがない。

二〈証拠〉を総合すると次の事業が認められる。

(一)  訴外今井と原告とは従前からの知合いであつたが、両名とも昭和五二年一二月に開催された財団法人銀行取引業指導協会の講習会に参加したことから懇意となり、また、被告らは右講習会に参加して初めて訴外今井を知り、それぞれ訴外今井と交際するようになつた。

(二)  訴外今井は、昭和五三年八月ころ、被告らに対し会員制旅館(後に「海峰閣」と名付けられた。)経営への参加の話を持ちかけ、被告らはこれに賛成して他四名の者とともに同月二六日、盟約書と題する会社創立に関する協定書を作成し、右旅館の経営を株式会社によつて行うこととして前記の者らが発起人となり同年一二月九日訴外会社が設立された。

そして、訴外会社の代表取締役に訴外今井が、取締役に被告茂垣及び被告白井が、監査役に訴外舟山徳五郎がそれぞれ就任しその旨登記が経由された。

(三)  原告は、昭和五三年一二月九日ころさいか屋デパートにアルバイトとして勤務していたところ、右同日ころ訴外今井が来店して原告に対し「会社を設立できた。あなたも来てくれないか、当てにしている」と海峰閣経営への参加をすすめたので、原告もこれに応じて、昭和五四年五月一五日に伊東市宇佐美で行われた海峰閣の上棟式に出席したうえ、同年七月一日から海峰閣の業務に携わることとなつた。ただ原告は、訴外会社の設立に際し出資をしなかつたため被告らのような取締役という形式的な肩書は与えられなかつたが、実質は被告らと同様な経営参画者として訴外会社に加わつたものであり、給与についても、訴外今井からは海峰閣の経営が軌道に乗れば取締役兼従業員として月額一〇万円を支給する旨約束されていた。

(四)  ところで海峰閣は同年七月二〇日完成し、同年八月一〇日開業したが、出資金及び銀行借入金では海峰閣の建築費用三八〇〇万円すら完済できなかつたうえ一般客の来集も思うにまかせず、会員の募集(会員制による施設利用も同時に企画された。)は皆無に等しく、訴外会社は海峰閣開業間もない同年九月ころから早くも資金繰りに窮し始めた。

(五)  かかる訴外会社の経営状態に鑑み、訴外今井は原告や被告らに再三出資を懇請した。そこで原告は昭和五四年一〇月八日に金七〇万円を、同年一一月七日に金三三〇万円を訴外会社に出資し、さらに貸付金として同年一二月二九日に金八五万円を、昭和五五年一月三一日に金一〇万円を、同年九月一〇日に金三〇万円を、同年一〇月一一日に金七万円をそれぞれ訴外会社に交付したが、被告白井も合計約金五四〇万円を、被告茂垣も合計約金四〇〇万円をそれぞれ訴外会社に出資した。(なお当時、訴外会社においては株券が発行されておらなかつたので、原、被告らは株券が出来次第株券をもらうことになつていた。)

(六)  原告は、前述のとおり訴外会社に入り海峰閣の経営に参画するようになつて後、訴外今井と協力し同人のため自動車を運転し、顧客の募集、接待、資金の調達等に奔走していたが、昭和五四年一一月頃から訴外会社の経理部長に就任して専ら資金調達を担当し、同五五年二月頃には第百生命保険相互会社と四〇〇〇万円の融資につき交渉するなどして、次第に訴外会社の経営に関し訴外今井と並んで重要な地位を占めるようになつた。かくて原告は、訴外今井の発議により遅くとも昭和五五年二月一八日に発行済株式の九〇パーセント以上を所有する訴外今井、被告両名、監査役舟山徳五郎らが出席して開かれた会議(形式的には取締役会と称されたが実質は株主総会と認めることができる。)で取締役に選任され、以後開かれた会議には原告は取締役として出席した。ただし原告の取締役就任登記は経由されなかつた。

(七)  一方、被告白井は昭和五四年一〇月頃から海峰閣に出社しなくなり、同五五年二月一八日開催の前記会議で取締役を解任され監査役に選任された。ただし、その旨の登記は経由されなかつた。

また、被告茂垣は前記のとおり訴外会社設立後取締役の地位にあつたが、会員の募集に当つたほか海峰閣の寝具類、食器類の整理、原告に対する帳簿記帳の指導などの仕事を担当していたものの、海峰閣には余り出勤せず取締役会等の会議の開かれた際に出勤する程度の勤務であつた。

(八)  而して訴外会社は原告や訴外今井らの努力にもかかわらずその後も資金繰りに窮し続け、昭和五五年一〇月一日、第一回の手形不渡を出し、同月二三日、再度手形が不渡となり、銀行取引が停止され、その間の同月一二日、解散決議をなし清算会社となつたが、清算業務も思うにまかせず同年一二月二三日、自己破産の申立てをなし、前記のとおり同五六年一月二三日破産宣告がなされた。

三以上によれば、原告は訴外会社の取締役として登記が経由されたことはないが、訴外会社代表取締役今井の勧めで訴外会社の経営に関与するようになつた昭和五四年七月以降訴外会社に対し金四〇〇万円を出資し、営業資金に金一三二万円を貸し付けるなど資金面で訴外会社(海峰閣)の経営に肩入れするとともに、自らも訴外今井に協力してその経営に当つていたものというべく、殊に昭和五四年一一月頃からは訴外会社の経理部長となり、おそくとも同五五年二月からは実質上取締役となつたものである。したがつて訴外会社の倒産が代表取締役今井の放漫経営によるものであり、且つ取締役たる被告らが訴外今井の業務の執行を監視すべき義務を怠つたとしてこれが責任を負担すべきものとしても、原告もまた実質上の経営担当者であり且つ取締役としてその責任の一端を担うべきものであるから、仮に訴外会社の倒産により出資金及び貸金の返還を受けられず、その他給与、立替金の支払いを受け得られなかつたとしても、原告は商法第二六六条の三第一項の第三者に該当しないものというべきである。

してみれば、原告が商法第二六六条の三第一項の第三者に当ることを前提に被告らに対し損害賠償の請求をする原告の本訴請求はその余の点について判断するまでもなく失当といわざるを得ない。

四よつて、原告の本訴請求はこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(安國種彦 嘉村孝 佐賀義史)

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